ボンボニエール

たまに思い出すために

ひき肉を家で作るのは結構楽しい

3.10

予定を組むのが下手くそなので3月何もない土日が今日までとなった。何も考えずに予定を入れられるところに押し込んでしまう癖がある。スケジュールアプリを見て後悔することが非常に多い。人と会うことや出かけることが好きなので予定自体は楽しみ。でもやっぱり自分の時間(何もしない時間、追われない時間)がないと疲れてしまう。どんなに仲が良くても、好きなことでも適度が一番いいなと思う。

 

そんな貴重な日曜は8時に起床して朝ごはん(普段全く食べないのであり得ない)。部屋の片づけをして昼過ぎから作り置きを大量に作る。料理ってちょうどいい量を作るのが難しい。特に作り置きって一人前を作るわけでもないので加減がいまいち分からない。スーパーでキャベツが安くて一玉買ったが量が多い。冷凍するけど葉物は触感が悪くなるのでうーん。コールスローと小松菜のナムル、鶏と豆腐のつくね、ちくわの磯部揚げを作った。3キロ買った鶏肉は1㎏はひき肉に残りはぶつ切りにしてなんでも使えるようにした。

料理をすると無心になれてストレス発散になると気づいてから、気持ちが上がらない時に大量に作る。もう少し美味しく作れるようになったら誰かに食べてもらいたいなと思いつつ、人の作ったものを食べたいと思わない性分なのでいまいち友人に言いずらい。でもいつか「大量に作りすぎた!食べに来てくれない?」とカジュアルに誘える気兼ねなさを他人にもう少し持てたらいいなって思う。

 

あとはゆっくりコーヒーを飲みながら来週末に行く広島でのごはんを調べたりYouTubeを見たり。夕飯にはふるさと納税でもらった牛タンを食べた。肉系は消費ができないからもう頼まないと決めた。久しぶりに20時くらいに湯船に浸かって今これを書いている。

 

最近いまいち仕事に気持ちが乗らない。やる気がほとんど出ない。原因はなんとなく分かっているけど、どうにかならない。どうにかする方法も分かってるけどその力を振り絞る労力とテンションを上げることがメンタル的に全く無理。どうにかこうにかしたいですね。

体重計の電池を2か月振りに取り換えて測ったら3kg増えていた。さすがにまずいので少しずつ食事を見直して、また腹に縦線を入れようと思う。がんばれ私。

酒の飲み方を覚えたい

2/3.

スケジュールに何も予定がない土日を10月ぶりに迎えた。前日に友人と終電まで飲み、どうしても飲み足りなくて近所の知り合いを捕まえて27時くらいまで飲んだ。次の日に何もないということが久しぶりなのでつい。この生産性のない時間の過ごし方をいい加減卒業したいけど、いつまで経ってもできない。酒を飲んで一体何が「良くなった」ことがあるんだろう。体質的に全然強くなくていつも3杯目から記憶があやふやになる。人と過ごす時間をそんな雑な扱いにできる自分は結局自己中心的にしか人と関係を築いていないなと書き起こして気付いてしまった。またしばらく飲酒は一人でいいかな。

9時くらいに起きて散らかり放題の家を足の踏み場を作るくらいには片付ける。洗濯物を畳むまでしてくれる洗濯機はいつの時代になったらできるのだろう。この時間が億劫で洗濯物で溢れかえる。部屋は心の鏡と言うけどまさにそう。一時期精神内科に通っている時期はとにかく部屋の環境が悪かった。部屋が狭くて汚かった。2回の引っ越しを経て今の部屋になってから薬がなくても生活できるようになった。久しぶりに床を見て掃除機をかけ、髪が詰まりに詰まった排水溝掃除。年末から結構バッドに入っていた心が少し軽くなった。

何も予定がなくて何をしていいかよくわからず粉物が食べたいので友人を夜ご飯に誘うと「今日はアジア杯なので」と。誘った手前じゃあ辞めますとも言えず、ちょっと悩んで一緒に見ることに。夕方までに新宿で用事を済ませて最寄り駅で集合。目当てのお好み焼きを食べて家でサッカー、ちょっと駄弁って解散。非常にちょうどいい。友人と遊ぶとなると基本的に出かけて外でご飯を食べることがほとんどになるけど、家でTV見るなり映画見るなりで会話をそこまでしなくていい時間を過ごすほうがずっと気が楽。友人と会うときすら出不精になる。

結局この日も飲み足りなくて友人が帰った後一人で相当飲んで記憶のないLINEと電話の履歴を翌日見て頭を抱えた。いい加減に酒の飲み方を覚えたい。

美しい選択

2.2

仕事終わりに大学時代の友人2人と飲みに蔵前まで行く。少し遠いけど都会の喧騒から外れながらも洒落ていて好きな街。少しだけ京都を思い出す。

大学時代に大体月に一度おいしいお店に行っていた友人と他愛もない話をして過ごした。6月に旅行に行く予定も立ちとても楽しみ。

2軒目にインバウンド向けのドミトリーホテルに併設しているバーに行ったら、海外の人と相席っぽい感じになりそうなところを何とか避けて3人でゆっくり飲む。オールドファッションドというかわいい名前のカクテルを頼んだらウィスキーのロックが出てきた。メニューにはアルコール度数が普通と書いてあったのに。友人が頼んだラムコークはおもちゃみたいな味で彼女の好みが変わっていないことが微笑ましい。

6月末に地元に戻ってしまう友人とあと何回会えるかななんて話しをしつつ、ラムコークの友人から婚約したとぬるっと恥ずかしそうに報告を受けた。彼女らしい言い方でちょっとグッときた。大学からいろんなことがあったから、なんだか感慨深くてたまらなくなった。

大好きな二人の友人が自分のためにしっかり道を選んでいて美しい。大学の時は何一つこれからも変わらないと信じて過ごしていたけど、私も他の人も着実に変わっていて人生を歩んでいる。あの頃より他人の人生がちょっと見えにくくなっただけ。物理的距離があればどうしても見えないことだって増える。たくさんの時間を過ごした彼女たちが美しい選択でそれぞれの人生を歩み、幸せが何かと見つめている。自分も「美しい」と思われる(思える)人生を過ごせるだろうか。

ネイルをするということ

1/20、ネイルと美容院に行った。しばらく実家にいたのでいつもより遅い周期になっていて爪は伸び放題、髪は絡まって毛先がパサパサ。遅くても月に一度は行きたいのでやっとこの日が来たという感じだった。

毎月ジェルネイルをしに通っているのだが、続けてもう3年くらい経つ。割と痛い出費にも関わらず飽きずに続けている理由が手元が可愛いとテンションが上がるだけではないなと最近思う。PC仕事なので自分の手元を見る回数はとても多いのでそれは大きな理由の一つ。でももっと大きな理由がある。

毎月デザインはどんな風にしようかと考えている時、1か月の予定を見てから決める。誰と会うのかやイベントがあるのか。何にもない時ももちろんある。それを加味してデザインを決めていくのは自分の気持ちを作るための一つにネイルを使っているのではと気づいた。

ライブの時はライブに合わせてネイルをすれば、今月の照準はマインドよりもイベントであってモチベーションを手元を見てあげる。特にイベントはなくて仕事が忙しければ負けないように自分が強くいられるようにとにかくギラギラにして、大きなパーツもつける。黒を入れることもある。

毎月自分の生きるマインドをネイルを通して整理して、手元を見るたびに「大丈夫だ」と立ち戻れるようになってる。おしゃれな側面よりもこっちの方がずっとずっと大きい。ネイルを変える日は気持ちを変える日になってた。

今月からしばらくはツアーが続くので専らイベント仕様が続く予定。弱い自分を武装する術をちょっとずつ見つけられている気がする。ネイルも服も髪もまつパも、一つ一つが見栄よりも自分の気持ちを自分で守るお守りとして楽しみたい。

2024.01.07

今日は名古屋に長い付き合いの友人とランチをしに出かけた。

10年くらいの付き合いになるネット上の友人。私よりも3つ年上。趣味で出会った人。当時はまだSNSも盛んではなくてお互い学生だった。個人のサイトみたいなもので出会ったような気がする。全然覚えていないや。そんな学生時代の趣味が今も続いていることに驚きではあるが、お互い連絡を取っているのも会うのも驚き。ネッ友が友人に変わった人の一人だ。

名古屋駅から少し外れたところの小さなビストロでランチ。前菜の盛り合わせにメインで私はポークを選ぶ。友人はタンシチュー。フォカッチャも美味しかった。ゆったりとしたペースで料理が運ばれてくるのでついついおしゃべりが進んだ。

友人と言ってもやはり趣味で繋がったので話題はもっぱら趣味の話。好きなアーティストのツアーが近いのでどんな曲をやるか予想したり、あの時の演出が良かっただの、グッズがダサすぎるだの言いたい放題。抱く感情が近いので会話も共感で進んでいくことの心地よさがある。人生の忙しいポイントがお互い似ているのでいけなかったライブも一緒。聴きたい曲に思いを馳せて週末のライブに備える。

ランチを終えて名古屋駅でぶらぶらしつつお茶。もちろんライブの話だけじゃなくて、お互い社会人なので仕事の話やライフプランの話もする。似たようなことを考えているのでこの話題も共感の嵐。お互いが遠い場所でお互いの人生を似た価値観で歩んでいると知れるとなんだか心強い。他人に流されるわけではないけど、自分の人生の進み方が不安になるときだってある。間違ってないかもな、幸せの選択は自分でするべきだよなと思えて年齢で考えるいろんなしがらみが少し楽になった日だった。

 

楽しかったので少し遅めに帰路に着き、実家で餃子パーティ。(我が家の餃子は100個くらい作ってホットプレートで焼きながら食べる)本来朝に食べるはずの七草粥がなぜが夕飯に出てくる。胃を休めるものなのに餃子とビールと出てくるのが何ともいい加減で我が家らしい。細かいことは気にしないが、季節の行事や習わしはとりあえずやる。良くも悪くも知らないで恥をかかずに済んでいることが多いのは、こういったことをずっとやってくれている親のおかげだ。

 

七草粥について知っているようで知らないので、日記を書いていることだしちょっと調べてみた。

春の七草:セリ・ナズナゴギョウハコベラホトケノザスズナスズシロ

江戸時代から1/7に七草粥を食べる風習が広まったそう。正月料理が続いた胃の疲れを癒す以外に無病息災でいられるようにという願いが込められている。

ふーん、なるほど。小さいころに七草を覚えたけどすっかり忘れていた。我が家の七草粥はとにかく味がしないので結局後から塩をかけたり醤油をたらしたりして食べる。小さい頃にはあまり感じなかったが、米の甘さが広がってそれなりに美味しい。年をとったとも言えるが、美味しいと思えるものが増えるのはうれしいな。

 

食事の後は姉と父の誕生日が近いのでケーキとシャンパン。久しぶりに大きなホールケーキを見た気がする。今年も変わらず健康に過ごしてほしい。特に父。実家と地元を満喫できた日だった。

2024.01.03

今年から日記をつけていこうかなと思い、去年の暮れにはてなブログを開設した。気張らず気の向いたときに細々と書き留めていければなと思う。

忘れてしまいそうなのでブログタイトルのボンボニエールについて。

ボンボニエール:もともとボンボン(Bonbon、糖衣菓子・砂糖菓子)を入れる菓子器を指す語。

Wikipediaより

日本では皇室が引き出物の菓子器として使われているそう。金平糖をボンボニエールに入れているとどこかで見た記憶がある。

金平糖は完成までに数週間かけてあの小さな花のような、星の欠片のような小粒が作られている。味こそそこまでだけど、金平糖のかわいらしさが好きだ。手間暇かけて作られているそれは愛情たっぷり受けた子供のようでまぶしい。

自分の日常の断片も感情の揺らぎも大切にしたいし、できるだけ忘れたくなくてどこかにしまえたらと思って始めているブログなので、欠片を集めて眺めたときに美しかったと思えたらいいな。

年明け早々暗いニュースが立て続けに起こっている。元旦は帰省し親戚と集まっていたタイミングでの地震だったため不幸中の幸いだったと思う。大きな地震があるたびに家族が心配になり、ここで生活していていいのかと考えてしまう。帰ることは多分ないのだけど。情報がSNSに溢れていて被災、被害に遭っていなくても心がしんどくなっている。今はただ一人でも多くの人が助かってほしいと願うばかりだ。

どんな一年になるのか不安を抱えてのスタートになったけど、今年も変わらず自分を大切に周りの人に感謝して日々を積み重ねていきたい。

あけましておめでとう。